浄土真宗本願寺派光徳寺
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光徳寺の歴史

 寺伝によると、土地の住人道清が1542年(天文11;日本史の授業風にいうと鉄砲伝来の前年)に開基したといわれています。当時、浄土真宗の道場は開基の俗名または法名を以って名づけるのがならわしであったので、この道場は道清と呼ばれたようです。
 良くも悪くも有名な太閤検地−1594年(文録3年)の摂津国太田郡吹田村検地帳には「はまのとう屋敷三畝道せい」と記されています。後に寺号が許されて「善正寺」といい、1659年(万治3年)の宗旨帳の表にも「善正寺」と見えます。
 1713年(正徳3年)9月25日第七世住職玄貞の時に善正寺を現在の光徳寺に改めることを許されました。玄貞は土木の工を起こし、門信徒の尽力をえて七間四面の現本堂を造営しました。工なったのは、1765年(明和2年)第八世玄清の時といいます。
(亘節さんにまとめていただいた「光徳寺寺歴」を参照しました)

 振り返ると、伝統のある寺のように感じますが、これは必ずしも誇りうることではありません。なぜなら、江戸時代には仏教寺院が寺檀制度の中で、支配の秩序を支えてきたという事実があるからです。光徳寺もまた民衆支配のために機能してきた歴史を否定することはできません。


光徳寺の未来

おやつの時間・・・少々お待ちを 


光徳寺の住職

直海 玄哲(なおみ げんてつ) 1960年生
日本一体重の重い住職に向かって日夜成長中

だいたい住職という呼び名は好きではないのです。私の勝手な考えでは、住職というのは前近代には、身分であったように思います。仏教の現状には、(法的には)身分秩序が否定されてからでも、無批判に身分差別的な言葉が温存されてきました。住職という立場に惑うことなく、一僧侶という生き方を貫ければと思います。

光徳寺の門徒になりたい

〇光徳寺の法座には、所属寺が光徳寺以外の方もお参りになります。時には、浄土真宗以外の宗派や仏教以外の信仰をおもちの方もお参りです。法座の進行や光徳寺の護持を妨げない限り、お参りの方に制限はありません。

〇所属寺は、各ご家庭(個人)の法要儀式を執り行ったり、本山である本願寺への事務取次を行う寺院です。日頃光徳寺の法座にお参りの方で、運営方針や葬儀などの儀式に対する考え方に賛同してくださり、光徳寺を所属寺に希望される場合は、住職にご相談の上、光徳寺門信徒会にご入会ください。

〇住職は、江戸時代の寺請制度に縛られることなく所属寺を変更できる仕組みを作る必要があると考えています。しかし、他の寺院との関係もあることですので、当面は、所属寺のない方、所属寺の許可を得られた方、もしくは光徳寺の方針を理解できず住職が一旦はお参りを止めた方、などを対象とします。


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