浄土真宗本願寺派光徳寺
(大阪府吹田市)
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儀式・儀礼

光徳寺で、仏教儀礼として行っています、おもな儀礼・儀式を紹介します。
○ 初参式(しょさんしき)
 初参式とは、かけがえのない生命の誕生を如来さまにご報告し、生まれ難い人間に生まれて、遇い難い仏法に遇えたことを喜び、ともに仏法に生きることを仏前に誓う儀式で、初参り(はつまいり)ともいいます。
 光徳寺の初参式は、お勤め、ご法話(お子さんへの手紙)、記念撮影という次第で約20〜25分ほどの式です。生後3か月くらいでお参りになる方が多いようですが、時期にこだわる必要はありません。
○ 七五三
 七五三は、地域の氏神に、子供が無事に成長したことを感謝し、将来の幸福と長寿を祈る神事です。同時に、社会の一員として受け入れられていく通過儀礼の意味合いもあったようです。
 神事であり、その意義も浄土真宗の教えにそぐいませんが、子供の無事を願う家族の思いは、宗教に関わらず共通です。そこで、光徳寺では、子供の成長する姿の中に人間の命の現実を見つめ、その現実に惑うことなく生きぬく教えに遇えたことを仏さまに感謝する行事として、仏事としての七五三を執り行います。 浄土真宗の門徒は、神事ではなく、仏事として七五三をお勤めしたいですね。
○ 仏前結婚式 
 結婚式は、単に形だけの儀式であってはなりません。それは、苦しみをともにし、喜びをわかちあえる人生の伴侶にめぐりあい、ともに手をとりあって希望と明るさにみちあふれた新しい家庭生活の第一歩を踏み出す覚悟を新たにするときです。さらに、お育てをうけた親族や恩師、また知友のかたがたに見守られて新しい人生の出発を誓いあう歓喜の一瞬でもあります。
 浄土真宗のみ教えをいただく私たちにとって、阿弥陀如来の尊前で結婚式を挙げることは、まことに意義深いことです。希望と感謝の新家庭生活にみちびかれた因縁の尊さを味わい、お互いの理解と尊敬と責任のもとに生きることを仏祖に奉告し、慈光につつまれて歩む敬愛和合の日ぐらしを誓いあう大切な儀式であるからです。同時に、仏前結婚の意義を、親族・知友とともにかみしめ、ふたりの門出を祝意の中に認めていただく大切な儀式でもあります。

やっぱり仏教徒は 仏 前 結 婚 式  でっせ!

 浄土真宗は出遇いの宗教です。真実との出遇いを歓ぶ教えです。

 愛する者との出会いは、真実の人生を歩ませて頂く大切なご縁となる一方で、真実を聞く耳をふさぎ、真実を見る目を覆うこともあります。だからこそ、ふたりのこと一番よう知ってて下さる仏さまの前で、ふたりの出会いの意味を聞かせて頂きませんか。

 色々なスタイルの挙式を考えることができます。寺にご相談下さい。一緒に考えましょう。披露宴や見た目の華やかさばかりに気をとられず、どんな結婚式にするかを真剣に考えるということは、お互いの人生を見つめることにほかなりません。
 なにはともあれ、やっぱり仏前結婚式ですね。
○ 入仏式(にゅうぶつしき)

○ 葬儀
  光徳寺では、葬儀の改革を進めています。現代の日本仏教の様相が「葬式仏教」と揶揄されるようになって久しくなります。これは、僧侶が葬儀の導師を務めることがいけないのではなく、葬儀が商業主義化していることへの批判であると思われます。また、宗教儀式を聖なるものとして、世俗的な価値から切り離そうとする意識の表れでもあるでしょう。「人の死を金儲けに利用している」うさん臭さや僧侶へのお布施も含めて葬儀の料金体系の不明瞭さに対する不信感が「葬式仏教」という言葉には込められているように感じます。
  しかしながら、この批判はひとり僧侶のみに向けられるものでしょうか。例えば、弔電や焼香順位の読み上げは、明らかに世俗の価値が厳かな宗教儀礼の中に乱入しています。総選挙の投票率がやっと五割を超えるような政治状況にあって、最初に政治家の名前が読み上げられる弔電や焼香のあり方に疑問はありませんか。代表者が参列していても、会社の弔電を読まなければ体面が保てないというのは商業主義ではないのでしょうか。人の死を売名行為さながらに利用する大人たちの社会で、子供たちは命の尊さを感じるでしょうか。
 中には反論もあるでしょう。亡くなられた方や家族の社会的地位や肩書きは、亡き方の功績を称え、子供たちが立派に成人したことを示しているのだと。なるほど、葬儀は宗教儀礼であると同時に社会儀礼でもあるのですから、それも一理あるでしょう。しかし、どれほどの地位も肩書きも死にゆく者を救うことはできず、どれほどに立派な子供たちであっても親の死を止めることのできない現実の前で、世間の価値はなんと虚しいことでしょうか。それ以上に、人生の深さや生命の尊さを地位や業績で測ることの愚かさを仏教は説いているのです。死の直前までひとり暮らしだったお年寄りの葬儀で、延々と読み上げられる親族の名前ほど虚しく皮肉なものはありません。
 さて、もちろん僧侶の側にも「葬式仏教」を担ってきた責任があります。日本人のほとんどが、おかしいとは感じながらも変わっていかない現状をグチとあきらめとで維持してきたのです。兼業で寺院運営を支える住職がおいでの一方で、世襲制の中で、何の決意もなく財産を受け継ぐように生活の糧のして門徒と寺を私有する僧侶が少なからずいることも現実です。一部の葬儀社と結びついて、葬儀を営業としている寺の噂も聞きます。そこで、僧侶は僧侶の責任を果たし、家族は葬儀の宗教的意義を問うて頂く中で、少しでも葬儀のあり方を考えていきたいと思います。そこから、光徳寺の葬儀改革が始まるのです。一人ひとりの人生と死に尊厳を取り戻すための改革が。

○ 中陰(ちゅういん)・・・初七日〜七七日(四十九日)
 中陰は本来は浄土真宗の教えにはない習わしです。現世と来世の間というのが中陰の意味ですが、命終の後すぐにお浄土の仏とならせていただく私たちにとって中陰の期間は必要ないのです。
 しかし、遺された家族や縁者にとってはどうでしょうか。親しい方の死を縁として仏さまの教えに出遇い、真実の生命観・人生観に気づかされていく中に、ともに癒されていく営みが浄土真宗の中陰といえるでしょう。ですから、亡き方への供養ではありません。遺った者が仏さまに出遇うお勤めとしたいものです。遺った者にとって、僧侶がひとりで理解不能な経文を唱えて「成仏した」と安心するのではなく、仏縁とさせていただいてこそ「ほとけさま」なのです。

○ 起工式(2004年3月『光徳寺だより』352号より)

 インドにお生まれになったお釈迦さまがお説きくださった教えは、中国語に翻訳され日本へと伝えられました。それらの書物を、私たちは「お経」と呼んで大切にしてきました。しかし、中には、お釈迦さまが説かれた形をとってはいるものの、実際には中国で書かれた「お経」も伝わりました。
 仏教が伝わった当時、多くの中国の人たちにとっては、その教えはなかなか理解し難かったようです。そこで、中国の思想や習俗を入り口にして易しく説き、経典形式に整えて伝えてきたのです。そのような経典のひとつに、『安宅神呪経』があります。
  『安宅神呪経』は、『阿弥陀経』と同じく、祇園精舎でのお説法です。もちろん、中国で『安宅神呪経』が書かれたときに、そう設定したのです。
 内容を簡単に紹介しますと、離車という名の長者が、一族五十人とともに仏さまのもとに赴き、家に取り憑いた諸神や悪鬼のために災禍があり、苦しんでいるとうったえます。そして、仏さまに、そうした諸神、悪鬼に慈悲をもって勅命し、災禍が消滅することを請うのです。仏さまは、その願いを聞き入れ、長者の家に至って、守宅の諸神を呼び、その妄動をいましめ諭されたことが説かれています。
 短い経典なのですが、お説教を深く味わうと、仏教の基本的な考え方が伝わってきます。
 ここで先ず示されるのは、人間のみならず、土地の神、家の神も迷いの存在である、ということです。それ故に、時として人間にも災禍をもたらすのです。仏さまは、慈悲をもって諸神、悪鬼の迷いを除かれ安穏ならしめることによって、その家に住む人々も安穏に暮らすことができるのです。諸神、悪鬼を退治するという、単純な勧善懲悪の話ではありません。
 ところが、経典の構成をもう少し詳しく訪ねますと、もっと深い意味のあることが知らされます。
 土地の神、家の神の迷いといいましたが、それらは、人間自身の迷いでもあります。お釈迦さまは、家に吉凶があるかないか、と問う離車長者に「諸々の事項はみな衆生の心行に由って生じる」と説かれます。
 最近、シック・ハウス症候群といって、建築方法や使用する建材が、健康に悪影響を及ぼすことがあると指摘されるようになってきました。災禍とされたものの中には、そのようなシック・ハウス症候群に類することもあったのでしょう。それらまで諸神や悪鬼の仕業に仕立て上げてきた歴史がありました。そこに、人間の迷いを観てとられた仏さまが、諸神、悪鬼をいましめるという形で、人間の迷いと救いを示されたのです。
 また、家を建てれば、その土地との関わりが生まれます。その周辺に住む人々や、環境との関係が大切になってきます。自己中心的な振る舞いは、やがて自身への災禍となって戻ってきます。その時、私たちはお互いに、隣人や周辺環境だけに責任を転嫁しがちです。しかし、仏教経典が勧善懲悪に終わらないのは、他を廃することによって解決をはかるのではなく、共に歩んでいく道を共に問うのが仏教徒のスタイルだからでしょう。そして、その人間観、環境観は地域との関係にとどまらず、やがて自他の隔てのない普遍的な世界観へと導かれていくのです。これは、逆に、近隣に新しい家や人々を受け入れる側となった場合も同じことだと思います。
 この『安宅神呪経』がいつ日本に伝えられたのか、正確には分かりません。『日本書紀』に拠りますと、孝徳天皇の時代、西暦六五一年に、味経宮(あじうのみや)で『安宅』等の経が読誦されたと伝えられます。信頼性に問題があるのですが、聖徳太子の伝記を記した書物には、推古天皇が、六〇三年に宮中で『安宅神呪経』を講じるように命じられた、と記されています。
 神道的地鎮祭については、六九一年、新京への遷都を前に執り行われたという『日本書紀』の記録が最も古いようです。仏教の儀礼が伝わるにしたがって、神道の儀礼も整えられたものと思われます。しかし、中世、近世初期の遺跡の調査からは、地鎮祭を行った痕跡はうかがえません。江戸時代後期になって、神道が民衆に広がる過程で、地鎮祭も行われるようになったと考えられています。
 さて、大事なことは、仏教と神道とで歴史の古さを競うことではありません。当然のことですが、建てた家にどのような人生を刻むのか、を考えるのが肝心かと思います。
 浄土真宗では『安宅神呪経』を読みませんが、連綿と伝えられて来た家を建てるに際しての仏さまのお心をいただき、阿弥陀さまの願いにかなう起工式や上棟式を行います。式次第などの詳細は、ご遠慮なく寺までお問い合わせください。


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